偏差値44の高校に通う落ちこぼれが、早稲田3学部に逆転合格した話。 vol.10「最後の試練」
こんばんは!
前回は関西学院大学を受けた時までの話でした。
今日はまずその結果から。
1.最初につかんだ切符
関学の入試から1週間がたち、合否が発表されます。
関学の合否はネットで発表されるので、僕は家で結果を見ることにしました。
結果は、
経済学部(全学日程)・・・合格
法学部(全学日程)・・・合格
2戦2勝です。
なにせ早稲田を受けることを決断するまでの第一志望の大学だったので、この時は素直に嬉しかったです。
早速、塾に行き先生に報告することに。
既に関学を受けた他の塾生も集まっており、合格したみんなで喜びを分かち合いました。
しかしまだ僕には2週間後に大きな壁が待っています。
「みんなと喋りたい」という気持ちをぐっとこらえ、この日も他の日と変わらず、夜遅くまで勉強しました。
2.最後の試練
早稲田の入試まで残すところあと2週間。
最後の追い込みの時期です。
ところが、この時僕にはある問題がありました。
勉強する場所がなかったのです。
それまでは毎日、月3万7000円の塾で勉強していたのですが、他の塾生はもう入試が終わっていたので、塾が開いていません。
普段は二人の浪人生が交代で鍵を開けていたので、その二人がいなくなった今、たまに先生が来る時にしか使うことが出来なくなりました。
家は誘惑が多すぎて勉強できない、図書館は利用者が多すぎて使えるとは限らない、カフェは机が小さすぎるし人が多すぎて勉強できない、、、
「これはやばいな。どうしよう。」
センター試験の国語で83点をたたき出してもヘラヘラしていた僕ですら、この時は悩みました。
しかしここで、僕はあることを思い出しました。
10月ごろに古文のためだけに通いだした某予備校です。
既に講座は取り終わっていたものの、一応生徒の一人だったので、自習室を使う権利はありました。
「現役で早稲田は無理だ。」と言われたあの面談以来、その予備校は大っ嫌いだったけれど、この際わがままは言ってられません。
約2ヶ月ぶりに顔を出しました。
「おぉ!久しぶり!」
久しぶりに聞いた声。
声がした方を見ると、例の塾長がいました。
「もうこいつの顔は見たくないな」とは思っていたんですけど、久しぶりだったので近況報告も兼ねてもう一度面談をすることに。
滑り止めの関学を受かった話をしました。
「え、嘘でしょ⁉」
「こいつは関学すら受からない」と思っていたのでしょう。
この2ヶ月間、僕が着々と早稲田までの距離を縮めていたことに、その塾長もびっくりしていました。
「現役での早稲田は諦めろ。浪人する前提でカリキュラムを組もう。」
と言われて以来、"敵"としか思っていなかった塾長との距離が一気に縮まり、その時僕は新しい味方を手に入れることができました。
残りの2週間、僕はその予備校でお世話になることになりました。
3.最後の追い込み
なんとか勉強場所も見つけ、最後の追い込みが始まります。
それまではずっと格安学習塾で仲良くなった友達と切磋琢磨し合っていた僕にとって、周りに誰もいない環境はかなり辛かったです。
受験が終わって少しの間も、その時のことを思い出すと吐きそうになるくらい孤独でした。
しかし弱音なんて言ってられる余裕もなく、毎日のように赤本と格闘していました。
第一本命だった商学部のこの頃の点数は、
英語・・・7割超
日本史・・・8割超
国語・・・7割
正直微妙です。
商学部は他学部と比べて問題が易しいため、高得点勝負です。
そのため、過去問でこの程度では、緊張している本番で同じ点が取れるとは限らない。
特に英語では7割の壁がどうしても突破できず、最後まで気を抜くことはできませんでした。
それでも時間は過ぎていきます。
最後の追い込みも終わり、いよいよ早稲田大学の受験まで残り2日。
最初の難関、教育学部の入試は20日だったため、2日前には東京に前のりし、当日まで準備をしました。
いよいよ明日、僕にとって運命の3日間が始まります。
➖おわり➖
次回はいよいよ早稲田大学の入試本番です。
乞うご期待を!
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今回は以上です。それでは。
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