くろまめ🔥底辺高校からの逆転合格体験記

こんにちは。くろまめです。僕は今、早稲田大学商学部に通う現役早大生です。偏差値44の高校に通っていた僕が、わずか半年で早稲田に受かった際の受験話や、受験テクニックを発信します。ご質問はこちらまで→【weseda.juken.44@gmail.com】

偏差値44の高校に通う落ちこぼれが、早稲田3学部に逆転合格した話。 vol5.「僕、早稲田大学に行きます!」

f:id:kuromamejuken:20200330081424j:image

こんにちは〜。

昨日は約2年ぶりに学習塾に入った話をしました。
月謝3万7000円の格安学習塾。

今日は、いよいよ僕が早稲田を目指すきっかけになった話です。

目次

1.あ、関学行けるかも
2.僕、早稲田大学に行きます!
3.はじめて味わった挫折

 

1.あ、関学いけるかも

高3の夏休みの後半。

毎日の勉強は習慣化され、朝9時に塾に行き23時に帰るというタイムスケジュールが確立していました。

この頃になると、2ヶ月の努力のおかげで語彙力が身につき、もう長文に対する苦手意識もすっかり薄らいでいました。

日本史にも徐々に比重を置き始め、通史はとっくに終わらせていました。

そんなある日、たまたま塾で仲良くなった友達と、関西学院大学(関学)の過去問を解くことになりました。

偏差値60の高校に通う友達が2人、それよりはちょっと劣る高校に通う友達が1人、浪人生が2人、そして偏差値44の高校に通う僕の6人です。

別に競うようなものではなく、「相手を知る」ただそれだけの目的です。

何年かは忘れましたが、関学社会学部の過去問を解いたような気がします。

結果は、

英語・・・120点ほど
国語・・・5割ほど
日本史・・・6割ほど

まぁ一般的な受験生からすれば特に良くできたわけではない、普通の点数です。

しかしまだ受験勉強を始めて2ヶ月ちょっとしか経っていなかった自分にとっては驚きの点数でした。

関学いけるな」

受験勉強を始めたといっても根はただのバカ。
いいことがあるとすぐ大袈裟に捉えてしまう性格なので、このような根拠のない自信を抱きました。

2.僕、早稲田大学に行きます!

上記のように、この短期間で自分でも驚くような成長を遂げることができましたが、他の受験生に比べるとまぁまぁと言ったところでした。

ただ、まだ早稲田の3文字は自分の頭にはなかったものの、

"このまま関学を第一志望にしていいのかな''

このようなモヤモヤを抱き始めていました。

そんなある日のこと。
確か夏休みが終わる3日前くらいだったと思います。

当時の僕は塾の2階の自習室②で毎日勉強していました。

しかしそんなある日、偶然その日は日本史担当の先生が来ていたので、「先生と喋りたいなー」と思い、1階の休憩スペースに移動しました。21時くらいだったかな。もう1日のタスクは終えていました。

まさかこの後の1時間で人生が変わるとは夢にも思ってもいませんでした。

休憩スペースで参考書を眺めていると、
急に先生が、

「〇〇、お前は将来何になりたいんだ?」

と、自分の夢を聞いてきました。

「ん〜、僕政治家になりたいんですよ」

マジです。

当時の僕は、
「日本の未来を変えたい」
「この国を誇り高い国にしたい」

こんな大それた理由ではなく、

「偉くなりたい。」

ただそれだけの理由で、政治家になりたいと思っていました。もはや病気です。

先生「政治家か。それだったら、関学にいってもなれないな。早稲田くらいはいかないと。」
僕「いや、早稲田は、、、。いけるわけないですよ。」

まぁ当然の考えだと思います。
なにせ僕の通っている高校の偏差値は44。

ただ、こんな僕に対して先生は、

「いける。このまま本気でやったら絶対にいける。」

先生が本気でこのように言っていたのかは分からないけど、「もっと高みを目指したい。」という漠然な気持ちを抱えていた当時の自分にとっては大きな起爆剤となりました。

話をするうちに、その先生が浪人時代、早稲田に受かる実力はあったものの、家庭の事情で早稲田には進学できなかったというエピソードを聞きました。

先生「俺はもう今年が最後だから、最後にこの塾から早稲田の合格者を出したい。」

当時大学4年だった先生にとって、僕たちが最後の教え子となる学年だったのです。

僕の中で、何かが変わった気がしました。

 

自分が早稲田合格者第1号になって先生の夢を叶えたい。

この熱い先生が大好きだったこともあり、この時はじめて僕は早稲田を目指すことを決心しました。

「俺、早稲田目指すんだ。」

この日は帰るまでずっと、ワクワクしながら早稲田の赤本を眺めてました。

 

3.はじめて味わった挫折

高校生活最後の夏休みが終わり、2学期が始まりました。

さて、早稲田を目指すことにしたはいいものの、まだ自分の中で『早稲田は雲の上の存在』という意識は消えていません。

「どうせ早稲田なんて昔から勉強している進学校の生徒しか受かるはずがない」

田舎の高校に通っていたこともあり、周りには早稲田にいった知り合いなんて1人もいなかったので、こう思うのは不自然ではないと思います。

そんな時、僕が早稲田を目指すきっかけとなった塾の先生から、過去問を解いてみることを提案されました。

相手を知る
このことの重要性は知っていたので、1度早稲田の過去問を解いてみることにしました。

早稲田大学商学部2014年の問題です。
科目は 英語・国語・日本史 の三科目。

6月から受験勉強を始め、わずか3ヶ月で自分でも驚くべき成長を遂げたものの、所詮は付け焼き刃の勉強です。

一方で相手は私立大学の雄

結果は、‟全科目3割ほど”

苦手意識の薄らいでいた英語も、解いても解いても終わらない長文問題に頭が混乱し死亡。

日本史もたった1度通史を終わらせただけで太刀打ちできるはずもなく死亡。

もはや手をつけていなかった国語も無事死亡。

はじめて味わった挫折でした。

その日は自転車で家に帰る時、信号が変わるのを待ちながら自然と涙が溢れました。

「どうせ自分に早稲田なんて無理。逆転合格なんてできるはずがない。」
「このまま少し頑張って関学さえいけたらそれでいい。」

夏休みは1日も休むことなく毎日受験勉強をしていましたが、この時ばかりは「少しの間勉強から離れたい」という思いがはじめて芽生えた瞬間でした。

➖おわり➖

次回はこの挫折をどうにか乗り越えてから、はじめて早稲田の地を踏んだ時までの話です。

今回は以上です。それでは。

 

Twitterはこちら☞@waseda_gokaku44

受験に関するご相談はこちら☞waseda.juken.44@gmail.com